初めは広告代理店として設立された

■広告代理店とはどのような職種なのか

梶原吉広が株式会社gloopsという社名に変更するまでは、グローバルメディアソリューションという名前の会社でした。
グローバルメディアソリューションという名前で梶原吉広が設立した当初は、ソーシャルゲームの開発を行う会社ではなく、広告代理店だったようです。
広告代理店という名前はよく聞くと思いますが、どのような職種なのかを詳しく説明するように言われると、名前ぐらいしかわからないという人が多いでしょう。
広告代理店というのは、広告を記載したいと希望する人に対して、広告の記載を募集している企業を紹介する橋渡しのような役割を担っています。
不動産屋の仲介を思い浮かべるとわかりやすいでしょう。
広告を記載してもらいたいけれど、最初はどこの会社が広告の記載を募集しているのかわかりません。
わかったとしても、どのような会社なのかを知らなければ、安心して広告の記載を依頼できません。
そこで梶原吉広が設立したグローバルメディアソリューションが仲介を行っていたというわけです。

■広告代理店の報酬とは

梶原吉広が設立したグローバルメディアソリューションという会社は、最初広告代理店を行っていたのですが、広告代理店の報酬というのは、記載先を紹介したときに発生する手数料、広告の内容を企画したときに発生する費用、プランニングに関する報酬になります。
しかし、広告というのは自分に興味がある内容以外の物は、あまり見たがらない人が多いのです。
そこで梶原吉広は、当初広告代理店として起業をしたにも関わらず、すぐに経営方針を変更することになります。

■広告代理店からソーシャルゲームの提供に切り替える

最初梶原吉広は広告代理店であるグローバルメディアソリューションという会社を興しますが、それから3年で経営方針を変更します。
どのように梶原吉広が経営方針を変更したのかというと、2008年にソーシャルゲームの提供を行うビジネスに変えたのです。
しかし、提供を行うSNSがまだ無かったことから、REALというSNSサイトの運営を開始し、翌年にソーシャルゲームの提供を行います。
当時はインターネットの常時接続が当たり前の時代になっていましたし、SNSがどんどん普及し始めた時代でした。
SNSが流行し出したことをきっかけにして、広告代理店からソーシャルゲームの提供に変えたのだと言えるでしょう。
これが成功して、最初に提供を開始した渋谷クエストはどんどん利用されるようになり、会員数も順調に伸ばしていったのです。
そこで2011年に、梶原吉広は社名をgloopsに変更しました。

旧モバゲータウンで多くのゲームを提供した

■自分が運営したSNSよりもモバゲータウンでの提供が多い

梶原吉広は広告代理店として会社を設立しましたが、すぐにソーシャルゲームの提供に切り替えを行います。
切り替えをした翌年には、梶原吉広が自らREALというSNSの運営を開始します。
しかし、梶原吉広は自ら運営するREALよりも、ゲームが好きな人なら大半の人が耳にしたことがあるぐらい有名なモバゲータウンでたくさんのソーシャルゲームを提供しているのです。
梶原吉広が最初に開発した渋谷クエストというゲームは、REALで提供を行って高い人気を誇りました。
その後渋谷クエスト自体もモバゲータウンで提供を行います。
それが2010年のことなので、梶原吉広がREALで渋谷クエストを提供した翌年に、モバゲータウンでの提供に切り替えたということになります。

梶原吉広のプロフィールはこちら

■かなり有名なサービス

ゲームが好きな人なら大半の人が知っていると言っても過言ではないモバゲータウンですが、実はゲーム以外にもいろいろと楽しめるのです。
例えばチャットやミニメール、日記などがありますが、現在ではすでに提供が終了したサービスもありますし、新たに追加されたサービスもあります。
そんな中でもゲームはかなり充実しており、しかも無料で楽しめるゲームも多いので、たくさんの人が会員登録をしていたのです。
だからこそ梶原吉広は、多くの人が利用してくれる可能性が高いモバゲータウンでの提供に至ったのでしょう。
梶原吉広は最初に提供した渋谷クエスト以外にも、大乱闘ギルドバトルなどの作品をモバゲータウンで提供しているのです。

■現在では株式会社ディー・エヌ・エーの管理下にある

当時はガラケーと言われている一般的な携帯電話が主流でしたし、モバゲータウンもパソコンからは利用できないという特徴がありました。
その後サービス名をMobageに変更し、2020年にはガラケー、いわゆるフィーチャーフォンでのサービスも終了しています。
さらに運営会社も株式会社ディー・エヌ・エーとなっていますが、株式会社ディー・エヌ・エーと聞くと、プロ野球やヘルスケアなどを思い浮かべる人も多いでしょう。
この株式会社ディー・エヌ・エーの管理下となっているのですが、今でもゲームやアバター設定などを楽しむことができるのです。
梶原吉広はフィーチャーフォン向けのソーシャルゲームを提供していたので、残念ながら現在では梶原吉広が手掛けたゲームの提供は行われていません。
しかし、新しいゲームは今でもどんどん登場し、楽しく遊ぶことができるようになっているのは以前と変わっていないと言えるでしょう。

奥さんは元グラビアモデル

■元グラビアモデルが現在の奥さん

芸能人と実業家が結婚することはよくありますが、梶原吉広の奥さんも芸能人です。
それは誰なのかというと、元グラビアモデルの山本梓という人になります。
名前を聞いたことがある人も多いでしょうが、高校時代に読者モデルとなり、この読者モデルをしたことがきっかけで芸能界に入りました。
芸能界に入ってからは、ドラマやバラエティ、コマーシャルなどいろいろなところに出演していたのです。
映画やテレビアニメなどにも出演していた経験があるので、かなり多方面で活躍していた人だと言えるでしょう。
そんな山本梓ですが、2014年に実業家である梶原吉広と結婚を発表し、現在に至っています。

■写真集やイメージビデオも多く出している

現在では梶原吉広の奥さんとなっている山本梓は、元グラビアモデルということもあり、バラエティやテレビドラマだけではなく、写真集やイメージビデオも数多く出しています。
写真集もイメージビデオも、2002年に出し始めているので、当然梶原吉広とはまだ出会っていないころです。
10年以上新しい写真集やイメージビデオを出していたのですが、2014年にも写真集を出しているので、すでに梶原吉広と結婚をしていました。
結婚をしたのが1月で、写真集が出たのが2月なので、梶原吉広と結婚をする前に撮影した可能性もありますが、結婚する前後まで芸能界で活躍していたのでしょう。
さらにVHSやDVDも出していますし、有名なゲームにも出演していたことがあるので、梶原吉広はかなり知名度が高く、有名な芸能人と結婚をしたのだと言えるでしょう。
VHSやDVDは、山本梓自身が戦隊モノのオーディションに出演した経験があるので、戦隊モノが中心となっています。

■年齢も比較的近い

最近は年の差婚が多くなっていますが、梶原吉広と山本梓は、比較的年は近くなっています。
梶原吉広は1979年生まれで、山本梓は1981年生まれなので、2歳しか年は離れていません。
梶原吉広は親の会社を継いだわけではないので、広島県出身、高校を卒業した後で服飾関連の専門学校に通っていたことがあるぐらいしか詳しいことは公開されていません。
それに対して山本梓は芸能人なので、千葉県出身で専修大学松戸高等学校を卒業し、クラシックバレエとピアノを長年行っていたということまで公開されています。
愛犬家で阪神タイガースの熱烈なファンでもあると言いますが、梶原吉広が阪神ファンであったという記述はないので、阪神ファンだったかどうかは不明です。
結婚をしてすぐ子供も授かっています。

ジーアールドライブはどんな会社なのか

■ジーアールドライブも比較的新しい会社

現在会社の数はかなりたくさん存在しており、古くから経営を行っているところもあれば、新しい会社も多数あります。
梶原吉広が立ち上げた株式会社gloops、開業当初はグローバルメディアソリューションという名前だった会社も、2005年に設立されているので、比較的新しい方だと言えるでしょう。
最初は広告代理店でしたが、梶原吉広がSNSの流行に目を付け、ソーシャルゲームを提供する会社へと方針を切り替えました。
では、梶原吉広が立ち上げた株式会社gloopsを吸収合併したジーアールドライブというのは歴史の古い会社なのでしょうか、それとも新しい会社なのでしょうか。
ジーアールドライブも梶原吉広が設立した株式会社gloopsと同じく、比較的新しい方に分類される会社です。
設立されたのも2002年なので、両社とも大体同じ時期にスタートしています。

■3DCGの制作がメイン

梶原吉広が社長や会長を務めていた株式会社gloopsは、主にソーシャルゲームを提供する会社でした。
最初は自社が運営するSNSもあったのですが、現在ではジーアールドライブという会社に吸収合併されていますし、ガラケー向けのソーシャルゲームを提供していたこともあり、今はもう運営されていません。
では、株式会社gloopsを吸収合併したジーアールドライブはどのような業務を行っていたのかというと、やはりゲーム関連の仕事となっています。
しかし、最初から最後まで自社で開発を行っているのではなく、メインは3DCGになります。
主にコンシューマ機やスマートフォン用アプリのゲームの3DCG開発となっています。
手がけたゲームの中には、人気や知名度の高い種類や、アニメ放送された作品まで存在しているのです。

■吸収合併された経緯

梶原吉広によって設立された株式会社gloopsは、最初からジーアールドライブと関係があったわけではありません。
実際にはジーアールドライブよりも、2012年に株式会社gloopsを子会社化したネクソンという会社との方が、関係が深いと言えるでしょう。
梶原吉広は最初社長として会社の経営にあたっていましたが、2012年に梶原吉広は会長となり、社長は川方慎介という人が就任しました。
その直後にネクソンが子会社化し、代表取締役も短い周期で変更されています。
しかし、2019年から株式の売却が開始され、親会社であったネクソンが株式会社gloopsの株を全てジーアールドライブに譲渡したことで、完全にジーアールドライブに吸収合併された形になります。
その後梶原吉広がジーアールドライブの業務に携わっているという記述はありません。

福岡県北九州市の出身

■北九州市は工業の街

梶原吉広は福岡県北九州市の出身ですが、どのような地域なのでしょうか。
北九州市は昔から工業の街といわれています。
福岡県自体が大きく分けると4つのエリアに分類されており、久留米市を中心とした筑後エリアは農地が多くなっています。
博多を中心とした福岡市周辺のエリアは、商店や飲食店が多いことから商業の街だと言えるでしょう。
飯塚など筑豊エリアは炭鉱町として栄えていましたが、現在では自然が多く残るエリアとしても人気ですし、博多と小倉のどちらにも通いやすく便利な地域です。
北九州市周辺は有名な工場が多く存在していますし、門司などの大きな港があるので、工業製品を他の地域に運びやすいのも特徴になります。
さらに工業大学もあるので、物作りが盛んであることがわかるでしょう。
このような地域で梶原吉広は育ちました。

■福岡市に次いで人口が多い政令指定都市

梶原吉広が生まれ育った福岡県北九州市は、九州では福岡市に次いで人口が多く、現在では政令指定都市となっています。
もともとは福岡市よりも人口が多く、九州では最大の人口を誇っていました。
それは本州と関門海峡を挟んで接していたことなども挙げられるでしょう。
早い時期に新幹線も開通しましたし、九州各地に行く鉄道網も充実しています。
バス路線もかなりたくさん存在しているので、交通網の発達が人口増加に拍車をかけたと言えます。
現在では少子高齢化や、東京一挙集中などの影響もあり、若干人口が減少傾向にあります。
梶原吉広も北九州市で会社を設立したわけではなく、東京都内で株式会社gloopsを設立しています。

■現在は北九州市には在住していない

北九州市で生まれ育った梶原吉広ですが、梶原吉広は奥さんの山本梓のように芸能人ではありません。
そのため、梶原吉広については福岡県北九州市出身ということや、奥さんが山本梓ということなど以外は詳しく記載されていません。
しかし、梶原吉広が会社を設立したのは東京都ですし、その後北九州市に支社を設立したという情報もないので、地元で事業を行うつもりはなかったのでしょう。
現在株式会社gloopsはジーアールドライブに吸収合併されて解散したということなので、梶原吉広はジーアールドライブの経営には関わっていないことがわかります。
ジーアールドライブも北九州市には営業所などを設けてはおらず、埼玉県にスタジオや制作部を設けています。
吸収合併されて解散をした後も北九州市には戻らず、シンガポールで山本梓と暮らしています。